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第24回 株式会社デュアルアームス 代表取締役 倉持 学さん2008年12月02日
第24回の独占インタビューは、千葉県 中央学院を卒業してアメリカ独立リーグをはじめ3カ国でプレイした倉持 学さんのお話を伺ってきました。
アメリカへ渡る
6年間プロ野球選手として海外でプレイ
スタッフ(以下「ス」) 早速ですが、いろいろ選択肢のある中アメリカ独立リーグを選択した理由は何ですか?
倉持さん(以下「倉」) これには私が大学1年生の夏にアメリカのシカゴ旅行をした話が関わってくるんですよ。
ス 旅行ですか?
倉 そうです。その旅行で、「俺はアメリカに住むんだ。ここで野球をするんだ。」と感じた訳です。そしてその1年後に私は、知り合いを通じてテストがあることを知らせてもらい、アメリカへ行く事を決めました。実は、大学は高校卒業後に決まっていたんですが、日本で野球はもうやりたくないと感じて、1年間プー太郎してたんですよ。
だけど結局、その1年後に大学の野球部に入部して、野球を続けていました。嫌々やっていて入部後、半年で最終的には退部するんですが、その部活動でたまたま国士舘がウィン94というチームと対戦する機会がありまして、そこでさっき言った現地の方と知り合うことになりました。ただその時はトライアウトが受からなくて、後2年大学卒業したら挑んでみようと思い、2年後に挑戦しました。
ス では、それまでどうやって鈍らないようにトレーニングを行っていたのですか?
倉 それまでは、体が鈍ってしまうのでウィン94で野球は続けていました。
ス なるほど。実際にアメリカに行く際どうやって情報を手に入れていたのですか?
倉 最初は、トライアウトテストの最終選考まで残ったんですけど、結局選考に落ちてしまったので日本に帰国したわけなんですが、その後、自ら自分のビデオと履歴書を書いて(もちろん英語です)送ってました。そうすると相手の球団からトライアウトの紹介が帰ってくるんですよ。後は、インターネットを使った情報収集ですかね。とりあえず全部自力でどうにかしましたね。でも、地理が苦手なので、これどこといった感じでしたけど(笑)後、英語も全く話せないし、全くわからなかったので・・・(笑)
ス スゴイいなぁ〜(笑)しかし、何で日本の野球を止めてアメリカの野球は挑戦したのですか?
倉 ・・・?なんででしょうね?私もわかりません(笑)でも、日本の野球が嫌いというわけではないですけどね。最初は、日本のプロ野球に入る近道だからと思っていたからアメリカだったんです。でも、学生時代は「お金を貰ってないのに何でこんなにきつい練習をしなくちゃならないんだろう」と思って、「何の為にやっているのかな」と漠然に考えるようになっていたのもありましたね。だから、どうせ野球するなら高いお金貰ってアメリカで認められて、日本のプロ選手になっても良いかなと考えた結果とも言えますね。
ス 実際アメリカの独立リーグのレベルはどのくらいですか?
倉 実際僕自身も、日本のリーグで活躍した訳じゃないので分からないですが、どうなんですかね〜。でも、まぁビックリはしましたよ。今まで大学などでやってきたのですが、大体相手のレベルは、この位だろうって予測出来ていたのですが、アメリカは予想外でした。とにかく個々のレベルが、凄いからビックリすることは沢山ありましたよ。
ス 逆にここなら日本人も負けてない。あるいは、優っているといった点はありましたか?
倉 僕の場合になってしまうのですが、スピード、守備、バットに当てる技術は、負けないなと感じていました。
ス やっぱりパワーが一番驚いた感じですか?
倉 そうですね。一番パワーの部分で驚きましたかね。本当に凄かった。ライナーの低さで、これは外野が取れるなと感じていた打球が、スタンドに入ったり良くありましたよ。
ス なるほど。では野球をやる上で困った事はなんですか?
倉 一番はジェスチャーですかね。「お前はクビだ!」の意味合いの日本のジェスチャー(首筋あたりを手できるジェスチャー)が、アメリカだと「今やっている練習を終えますよ。」の合図だったりしますからね。ジェスチャー系が一番大変でしたね。
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- World Baseball Connection 倉持 学さん
- 球歴: 中央学院高-国士舘大学-アメリカ独立リーグ
-カナダ独立リーグ-ドイツプロリーグ-カナダ独立リーグ - 略歴: 大学卒業後、アメリカ独立リーグ・ペンサコーラ
・ペリカンズ入団。
1年目からレギュラーに定着し、72試合・
全イニング出場。
この年の盗塁王とゴールデングラブ賞を受賞し
リーグ優勝に大きく貢献。
その後、カナダ独立リーグ・カルガリー・アウト
ローズに移籍し、リーグ優勝に貢献。
翌年移籍した、ドイツプロリーグ・ブンデスリーガ・
フース・パイレーツでは選手兼コーチとして活躍。
地元のジュニアチームやキッズチームの指導にも
従事。
06年、再びカナダ独立リーグ・カルガリー・ヴァイ
パーズに移籍し、105試合全イニング出場、
ディビジョン優勝に大きく貢献。
07年、6年間のプロ野球人生を終える。08年、
ワールドベースボールコネクション創業、ベース
ボールエージェントとして活躍中。
09年 株式会社デュアルアームス代表取締役就任
- 球歴: 中央学院高-国士舘大学-アメリカ独立リーグ


