- トップ
- 試合記事一覧(大会別)
- 2010年夏の大会 第92回東西東京大会
- Happy End 最終回 球児たちの銘
Happy End 最終回 球児たちの銘

全国の地方大会が終了した。甲子園への切符を手にすることができず涙した4066校の球児たちは、今どのような思いを抱きながら過ごしているのだろう。
球児一人ひとりにはそれぞれの野球経験があり、思いがある。弱点の克服、自己犠牲、ケガ……、みんな、たいへんな思いを経て夏の大会に辿り着く。
敗れた選手たちの話を聞いていると、そんな「内なる自分との戦い」が凝縮された一言に出会うことがある。
彼らは飛びぬけた選手ではない。敗れ去った多くの球児の一人に過ぎない。でもその一言には他の人には出せない重みがあり、言葉の裏にはドラマが隠されていた。
この夏の地方大会を振り返って、そんな重い一言を発してくれた3人の球児の物語を紹介したい。
「執着心」【7月11日 東東京大会2回戦 日体荏原13-2文教大付】

秋山君(文教大付)
5回裏、文教大付のスコアボードに「2」という数字が入った。
0-13で迎えた攻撃。この回、最低4点を取らなければ、コールド負けになってしまう。文教大付は必死、2アウトでランナーはいなくなったが2点を返した。
秋山雄くん(3年)はこのとき、ネクストバッターズサークルにいた。
「あと2点が必要だから、自分も出塁してホームを踏まなければ。そのためにも、まずはどうしてもつないでほしい」
しかし願いむなしく、一番バッターの前田慶一郎くん(2年)は内野ゴロに倒れ、ゲームセットに。秋山くんは心ここにあらずといった表情で整列に加わり、そしてうなだれた。
「いかに弱者が強者に立ち向かうか」。これが文教大付のテーマだ。今年は創部以来最多の部員数で大会に臨んだ……といっても19人。3年生はキャプテンの田村倭くんと秋山くんの2人しかいない。それでも勝つにはどうしたらいいか。1年間、2人で思い悩んできた。
新チームの出だしは順調だった。通常の文教大付であれば、練習試合でも初勝利を記録するまでに何試合も要するという。しかしこのチームは昨夏のうちに早くも1勝をマーク。その勝利の経験が、勝つためのヒントを秋山くんにもたらしてくれた。
「死に物狂いで一球に食らいつく執着心。攻撃でも守備でも、一球一球をたいせつにプレーしていけば、勝機が見える。その気持ちを持ち続けられるよう、練習試合から意識してきたんですが」。
試合中からぽつぽつとしていた雨足が試合後強まってきた。その中、人目もはばからずにしゃくりあげながら話を聞かせてくれた。言葉にならない苦労が多々あっただろうことは想像がつく。
心がける「執着心」をこの試合で見せた。4回裏の第2打席では日体荏原の先発、太田祐貴くん(3年)のボールを救うように引っ張ってライト前ヒット。大量失点直後の先頭バッターだっただけに、意気消沈気味のチームに活を入れる意味でも大きい「意地の一本」を放った。そして5回の2得点。この回の攻撃に3年生は打席に立っていない。下級生たちだけで返した2点だった。
四死球を連発してはタイムリーを浴びての5回コールド負け。結果だけを見れば「弱者が強者に立ち向かう」野球は不完全燃焼だったと言わざるを得ない。遅きに失した感も否めない。だが、1年間訴えてきた「執着心」が土壇場で出た。しかも後輩たちが体現してくれたことが嬉しかった。
「悔しい。けれど、あきらめないで取ったあの2点は忘れません」
「執着心」という言葉は、決して秋山くんひとりのものではく、確実にチームカラーとして根付いていた。
「コントロール」【7月13日 西東京大会2回戦 都小平南4-3都豊多摩】

村野君(都立豊多摩)
スコアは3-3、9回裏ノーアウト満塁フルカウント。
次の一球が持つ意味は、これまで投げてきたどの一球よりも、重い、
都立豊多摩のエース村野桂一くん(3年)はこのとき、極限のマウンドにいた。
セットポジションからゆっくりと右足を上げる。長い右腕をフルに伸ばしてサイドハンドから投じたのは、左打者の内角をえぐるストレートだった。
都立小平南の5番バッター廣田大くん(3年)がとっさに身を引く。しかし、その身体にボールが激突した。サヨナラ死球。村野くんがトボトボとマウンドを降りてくる。茫然自失、そのうつろな目には、おそらく何の光景も映っていないだろう。
「(自分が投げるとは)頭になかった。まさかあの場面で自分が投げるとは……。心の準備ができていなかったですね」。
実は、村野くんはこの試合先発したものの、7回からマウンドを原子和馬くん(3年)に譲り、ライトへ回っていた。そして9回ノーアウトランナー1、2塁となった場面で再登板となったのだ。
「楽しもうと思ったけど楽しめなかった。3ボールとなった時に、自分で『これはダメだな』と思ってしまった」。
心の準備ができぬまま、満塁策をとった。そして都立小平南の廣田くんとの勝負も、ボールが3つ先行した。
その時出てきてしまったのは、1年の頃以来だったという弱気の虫。結局、フルカウントまで持ち直すも、最後の一球まで気持ちに整理はつかぬままだった。
「コントロール」が、村野くんというピッチャーにとっての生命線だった。
この試合、序盤からランナーを許すものの内外角低めを突く抜群のコントロールで要所を締めてきた。
ピンチの場面を迎えると「コントロール、コントロール」と頭の中で反芻する。これまでも続けてきた村野くんのおまじないだ。
試合は先制し追加点を奪い、都立豊多摩ペースで進んでいた、が……。
「ブルペンでも調子がよかったし、負ける気はしませんでした」
試合後でも、まだそう思っているように見える。汗もなければ涙もない。心ここにあらず、という感じだ。発せられる言葉は少なく、どこか乾いている。
最後になって、乱れてしまった自慢のコントロール。自分らしさが失われた先に待っていたのは、自信の急激な喪失と、残酷な結果だった。
話の途中で突然、村野くんの目からぶわっと涙があふれてきた。ようやく現実に気づいたのかもしれない。
払った代償は確かに大きい。今はまだこの結果を、悲劇としか捕らえられないだろう。しかし、極限の状況で投げたという体験は、とてつもなく大きなひとつの教訓を、村野くんの今後にもたらしてくれたのではないだろうか。
“コントロール”にはボールコントロールだけでなく、メンタルコントロールもあるということを、彼は生涯忘れることはないだろう。
「切磋琢磨」【7月19日 東東京大会4回戦 日大豊山12-3都日比谷】

飯野君(都立日比谷)
「(シードの)日大豊山に勝って日比谷の野球を変える」と意気込んだ試合だった。しかし現実は厳しい。毎回ランナーを背負った。四球やエラーでランナーを貯めては長打を浴び、確実に点を重ねられる。気づけば8回コールド負け。2010年の日比谷野球は、4回戦で幕を閉じた。
しかし、このチームで目を引いた選手がいる。4番打者の飯野元気くん(3年)だ。3回にはチーム初ヒットとなるレフト前ヒット、6回にもセンター前ヒットを放つなど、3打数2安打1犠打という成績。4番でありながら大振りせずチームバッティングに徹する姿勢に、小柄な選手が多い都立日比谷のスタイルを見た。
飯野くんは今大会、ずっと4番を打ってきた。1試合に何本ヒットを打ったか記憶は定かでないが、毎試合安打ということだけは覚えている。大一番となった日大豊山戦でも、
「塁に出ればなんでもいい。あと、甘い球は逃さずに振っていく」
ことを心がけて結果を出した。
2年春の頃から練習試合で代打に出るようになった。バッティングは得意だ。しかし飯野くんの背番号は13。本来、チームでは背番号3の阿保賢二くん(3年)に次ぐファーストの控えという立場だ。
飯野くんの高校野球は、つねに阿保くんとの競争だった。
都立日比谷は、過去に夏目漱石らを輩出した学問の伝統校であり、現在も都から進学指導重点校の指定を受ける「超」進学校だ。野球部の練習は18:00までと決まっている。飯野くんはレギュラーを取るために、個人的にバッティング練習に時間を費やしてきた。帰宅後もバットを振り続け、チームの朝練がないときも自主的に早起きして登校し、バットを振ってきた。
しかし阿保くんもチームの主軸を打つほどのバッター。簡単にはレギュラーの座をつかめない。2年秋には背番号3をつけたが、3年春の背番号は13になった。
「ライバル意識は相当ありました。でもいがみあうとかではないですよ。お互いに切磋琢磨する関係というか」。
必死に「切磋琢磨」してきた結果、2人ともチームに欠かせないバッターに成長していた。今年の4月末あたりから、練習試合で飯野くんを外野に、阿保くんファーストに配して同時起用されるように。夏直前までは阿保くんが4番、飯野くんが5番を打った。そして最後の夏、その打順は逆になった。
「レギュラーの背番号は正直、つけたかったです。やっぱり悔しい」
レギュラー争いに敗れたことは確かに悔しい。でも一方で、最後の夏に4番として活躍できるまで自分を高めてくれたのは、切磋琢磨できるライバルがいたからこそ、ということも分かっている。
敗戦後にひとしきり泣いた後、千羽鶴を渡そうと日大豊山の選手を探す都立日比谷の選手たちの中、背番号13と3はずっと隣り合っていた。
最後の夏を終えて引退した球児たちにとって、甲子園を目指して一心不乱に野球に打ち込んだ2年半の日々というのは、忘れがたい思い出になることは間違いない。
自分と向き合い、自分と戦い、成長を実感することは、今後の長い人生を歩むうえでなぜかやりにくくなり、感じにくいものになっていく。
だからこそ、高校野球を通じて導き出した自分に対する訓戒は、その後もずっとたいせつな「座右の銘」になりうる。
今はまだ気づかないかもしれないが、そのうちきっと気づくはずだ。高校野球を通じて得た言葉が、これからの自分たちの人生にとっても大きな意味を持っているということに。
※※※
最後の夏を経験した選手には、それだけで価値がある。一生付き合う仲間たちと一生の思い出を共有する。また、生涯の心の拠り所を見つける。そういうドラマチックな経験ができること自体、とても貴重で、幸せなことだ。だからたとえ甲子園に行けなくても、たとえどういう負け方をしても、彼らの終わりは全て「ハッピーエンド」と言えるのではないだろうか。
少なくとも私は、そう思っている。
(文=伊藤 亮)
応援メッセージを投稿する
東京都の地域スポンサー様を募集しております。

